『私は体育祭が嫌いだ』
今日?だったみたいですね。
体育祭。
最近、腹のたつことがありまして。
私にもまだ怒るパワーが残っていたことに
自分でも多少驚きましたが、、、。
まったくその怒りをこの場を借りてぶちまけようと思っていたのです。
そして同級生のみなさんの怒りの連鎖を期待しておりました。
その怒りを共有して欲しかったのです。
私は斐太高校に入学した直後、
ある英語教師から、こっぴどく叱られました。
何でそんなに叱られたのかはまったく覚えていません。
当時もわからなかったのです。
きっとその教師は私を嫌いだったのでしょう。
ただ覚えているのは
『トンボの校章が似合わない男』
の汚名を頂戴したこと。
その時の怒りを10とします。
以前、書きましたこの記事(←クリックしてみ)にもありますが、
卒業して十数年後、
私は在学生に友人ができまして、
彼らが幹部を務める年の体育祭を観にいきました。
我々の頃の体育祭よりも応援合戦における女子(総務)の役割が増えておりました。
K先輩がT先生と一緒に考えたという応援団長の台詞は
旧制中学の当時を偲ばせるような文語調ではなく、
湘南乃風やケツメイシがやるような、ラップ文体になっておりました。
高下駄を空中に放り投げるようにして脱ぐ、という仕草が各団で流行しているようでした。
それら全ては、僕にとって、正常進化の範囲内でありまして、
微笑ましいものでありました。
が、
ひとつだけ残念なことが。
服装の乱れについてです。
とてもだらし無い服装の人達がいて、その人らが斐高のグラウンドを闊歩している。
すぐに気付いたのですが、彼らは当時の斐高の教師の一部でした。
その時の怒りを20とします。
話がそれますが体育祭といえば、
個人的に忘れられないエピソードがあって、
それは社会科のある先生が授業中に
『私は体育祭が嫌いだ』
とおっしゃったことです。
非常に印象深い発言だったので、よく覚えています。
体育祭の応援合戦の美意識が、
大戦中の特攻隊や当時の日本軍の美意識と通ずるものがあるから嫌いだ、
というような主旨の発言だったと記憶します。
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』か。。。
と当時の私は思いました。
しかし、そうして思うと、
いわゆる『団席』におけるプラカードを用いたマスゲームは、
独裁的な社会主義国家のそれに似ていなくもない。
もっといえば、体育祭にまつわる『熱狂』は、
ファシズムに似ているのではないか、とも思えてくる。
ファシズムという現象を想像してみるとき、
私にとって一番近いであろう実体験が体育祭だったのではないか?
誤解しないで欲しい。
私は体育祭が好きでも嫌いでもない。
ただ、自分にとって重要な体験であったと思っている。
人間や、集団というものを理解するうえで重要な経験だった。
体育祭とファシズムを並べて論じることすら愚の骨頂だ、という思いも一方にある。
ただ、私が斐高の体育祭が続いていって欲しいと思う理由のひとつに、
あの『熱狂』は体験しておいたほうがいい、という思いがある。
人はどんな時に我を忘れ、泣き、叫ぶのか、
体験しておいて欲しいと思う。
話がそれた。
で、今回の怒りの発端は、
我々が在学中の体育祭にまつわることでありまして、
いろいろと釈然としないことがあるとはいえ、
その怒りは100を超えておりました。
母校の不祥事の中でも、前代未聞のことである。と。
二度とそのようなことを起こさないためにも、
私の怒りを同級生、同窓生の皆さんと共有すべきだ、と思いました。
しかし釈然としないことが多すぎたのです。
それはそれとして怒りがおさまらない私は、
その釈然としないことはそのままに、パソコンの前に座りました。
そして、一瞬、ある人のことが頭に浮かんで、
私はその人に電話をかけることにしました。
とりあえず私はその人に怒りをぶちまけたのです。
その人は私の怒りに戸惑っているようでした。
その人は私の話を聞きながら、当時の事を徐々に思い出しているようでした。
そして彼の意見を落ち着いた口調で言いました。
結論から言うと、
私はその人に電話してよかった。
大変複雑な話で、軽々しく公言できることではないと。
私がそのままここで怒りをぶちまけていたら、
大きな間違いをして、たくさんの人を傷つけたり、大変な迷惑をかけるところだった。
私はその人に深く感謝した。
反省もした。
怒りは、、、
質が変わった。
いまだ釈然としないことも多々ある。
というか増えた。
奥歯に物のはさまったような表現しかできず申し訳ないが、
人間、その集団、というのはつくづく理解することが難しいものだという思いを抱いている。
ある出来事に対する見方も人によって様々で。。。
芥川の『藪の中』をもう一度読んでみようと思っている。

『L'Année dernière à Marienbad 』1961 Alain Robbe-Grillet Alain Resnais
Posted by イチロウ at
◆2011年09月07日21:01
この記事へのコメント
怒りの原因は さておいて…。
斐太高校の体育祭にむけての体育会的ビシビシの訓練のあとに、当日完成されるものは何だ?
それは とっても美しい構築美なんだよ。 それはビシビシがキツイほど、美しく完成度を増すんだよ。それを否定するのは、理性 思想だよ。美しいと感じるのは、本能的美意識だろう。
その相反に なんかひっかかってるのは、イチローのアーティスト魂なんじゃないかな?
アーティストなら本能に忠実であるべし。そんでよし。
なんじゃないかな?
斐太高校の体育祭にむけての体育会的ビシビシの訓練のあとに、当日完成されるものは何だ?
それは とっても美しい構築美なんだよ。 それはビシビシがキツイほど、美しく完成度を増すんだよ。それを否定するのは、理性 思想だよ。美しいと感じるのは、本能的美意識だろう。
その相反に なんかひっかかってるのは、イチローのアーティスト魂なんじゃないかな?
アーティストなら本能に忠実であるべし。そんでよし。
なんじゃないかな?
Posted by アニーモリモ at 2011年09月08日 18:00