田之本先生からお借りした本で、印象的だったのがこちら。
『少年時代』
藤子不二雄Ⓐさんによる漫画である。
同名の映画も作られ、その主題歌を井上陽水さんが歌い、大ヒットしました。
私は一晩でそれを読み終えたのだったけど、
なんとなく田之本先生に『見透かされている』と思った。
その主人公があまりにも自分に似ていたからである。
ただ先生がこの本を貸してくれたきっかけは、
この物語の舞台となった富山と新潟の県境あたりに、私がよく釣りに行っていたからで、
『見透かされている』と思うのは、考えすぎなのかもしれないし、
この漫画を読むと、誰でも多少はそう思うのかもしれません。
東京から疎開してきた主人公が、
その土地のガキ大将を中心とする、子供同志の権力争いやイジメに、
翻弄されつつ成長していく物語です。
ところで、私が自分の幼い頃のアルバムを見ていて感じるのは、
自分が『女の子』として育てられたのではないか?
という疑念です。
ピアノを習っていました。
男の子の遊びより、女の子の遊びばかりしていました。
泣き虫でした。
『男らしくしなさい』
と言われたことが、ありませんでした。
そんな私にも、男の子の『社会』にデビューする日が訪れる。
私の最初のガキ大将、
いっこ上のC君。
オレンジのジャージがC君。寝ぐせ、そっぱ、寝起き、が私。もんちにそっくりなのがもんちの兄ちゃん。
C君ほど独特な人物を私は知らない。
小学校の時に転校していくまでの間、駅前周辺の子供たちのガキ大将だった。
C君にメンコを見せてもらった記憶があるが、ダンボール箱単位のコレクションだった。
C君ん家の玄関はカブトムシの養殖場みたいだった。
男の子が欲しがる全てを、ケタ違いに持っていた。
C君は私に優しかったが、
今思えば私は『男の子』として認識されていなかったのかもしれない。
中学生になって、隣の中学の『番長』がやって来る、という事件があって、
その『番長』というのが転校していったC君だった。
2こ上の松中の番長と、対等に話をしていった、みたいな事件だったと思う。
ケンカが強いことで有名だった。
斐高時代にも嘘かホントかわからないような武勇伝をいくつか聞いた。
ケンカを売ってきた奴に、さんざん殴らせておいて、
顔色ひとつ変えず、
『そんだけけ』
と呟いて、次の瞬間、相手を瞬殺した.....などなど。
角刈り、裸足のセッタ履きスタイルで斐高の廊下を歩く姿は、忘れられない。
しかも成績が良いという噂だった。
幻の黄団団長でもある。
C君が転校していって、次にガキ大将になったのは、
O君だった。
O君は人気者だった。
腕力ももちろんあったけど、それ以上に明るさ、ひょうきんさで目立つ存在だった。
小学6年生の時、O君がパンフレットみたいなのを持っていて、
それを同級生の仲間達と、隠れるみたいに、こっそり見ていた場面が忘れられない。
私も仲間に入れて欲しかったが、どうしても言い出せなかった。
多分、こんなモノのパンフレットだったと思う。
中2の時、O君が私を呼び出して
『ついてこい』
と言って、私の肩に腕をかけ、体育館へ向かって歩き出した。
O君はある女子の前で立ち止まった。
猫みたいな顔した可愛い上級生だった。
その女子にむかって
『おう、こいつは俺の弟や。』
と、私を紹介し、それだけ言って、また私を連れて歩き出した。
O君はとても嬉しそうだった。
そして私の耳許で、
『あれが俺のカノジョや』
と言った。
大抵は楽しげで、明るい人だったが、怒らせると手がつけられなかったらしい。
最近
カルさん(←クリックしてみ)に聞いた話だが、
他の中学の『不良』が、カルさんに嫌がらせをしたという事件があったらしい。
それを聞いたO君はすぐにその『不良』を探しだして、馬乗りになって殴り続けたというのだ。
C君には底知れぬ不気味なくらいの恐ろしさがあったが、
O君はとても分かりやすい『男気』の塊みたいな人だった。
高校に入ってすぐ、その頃の高校生が誰でもやるような事件を起こして、
O君一人だけが退学処分になった。
それはO君が一緒に居た仲間をかばい続けた為だったらしい。
O君らしいな、と思った。
O君が高山を離れて行って、次にガキ大将になったのが、
いっこ上の前代表幹事、T君である。
これは花里5丁目の祭り神輿の時の記念写真である。
満面の笑でピースしてるのがO君。
いちばん右がT君。
その後ろで、舎弟気取りのヤンキー座りが私である。
私がハンドボール部に入ったのも、
バンドを始めたのも、T君の影響が大きい。
部活が一緒だったこともあって、T君とは今でも親しくして貰っている。
先日、この町内のおじちゃん二人を連れて、富山に釣りに行った。
その道中、鯉釣りの名人、鰻屋のIさんが、私たちが子供の頃に、
町内の子供達を連れて釣りに行った話をしてくれた。
「Cがヤンチャやもんで、弱ってまったさ....」
子どもが沢山居た当時を懐かしみながら、話は尽きなかった。
まったく釣れなかったけど、私はその釣行がとても楽しかった。
高山を離れているT君にさっそく電話して、それを報告した。
T君は嬉しそうにそれを聞いていた。
そして最後に、からかうみたいに、
『おめーも、そーゆー事が出来るようになったけ、、、』
と言った。
不意に涙があふれた。
私は泣いてるのを隠したつもりだったけど、きっとバレてたと思う。
『女の子』みたいにピアノ習ってて、釣りも、ケンカもしたことがなかった私は、
自分の『男の子』っぷりを、T君に知らせたかったんだな、とその時に気付いた。
お父さんが亡くなった時も、お母さんが亡くなった時も、
T君はことあるごとに私を呼び出して、語ってくれた。
女を愛することについて、結婚について、も。
町内の仕事を苦にせずやれ、家族を大切にしろ、思い切り遊べ、外国へ行け、etc,etc.....
飲みにいっても、絶対に払わせてもらえない。
ぜんぶT君がおごってくれる。
今だにである。
いつも勝手にT君は私を見守っている。
父親くらいの歳のおじちゃんを誘って、私が釣りに行ったことを、
T君流の言葉で、
『イチロウ、いい事したな。おめーも男と認めてやるさ。』
と言われたような気がした。
涙がとまらなかった。
そして、今回の学年同窓会の幹事長をやってみろ、と言ったのも、実はT君でなのである。
『男』を見せろ。
と言われてる気がした。
私は、心を決めた。
そして、現在に至るわけである。
.....のだが、
このブログを始めた半年前、私は真っ先にT君に報告した。
『そうか!いよいよやるか!頑張れよ!応援するさ!』
と言ってくれる、ハズだった。
しかし帰ってきた言葉は、
『おめー、そんな事より、はよ結婚しれよ。』
だった。
ですよねーf(^O^;)
もう四十路ですもんねー(・_・;)
幹事長なんかやってるバヤイじゃないっすよねー(^m^;)
_| ̄|○
でも、もう後には、もどれないのです。
『はじまってしまったから』
優しい雨
作詞:小泉今日子 作曲:鈴木祥子
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歌詞部分削除
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