一郎magic
『北に遠ざかりて』をきっかけに、私はまた田之本先生と会う機会が増えました。
そんなある日、先生がこんなことをおっしゃいました。
シミズと言えば、忘れられない思い出があってね、当時◯◯という若い女の先生が『生徒がうるさくて授業にならない』って職員室で嘆いていたんやね、それでこういう事は本当は絶対やってはいかんことやけど、僕は悩んだあげく、賭けにでたんやね、こういうことを頼めるのはシミズ、あんたしかいないと、そう思って訪ねたんやね、学校帰りに、喫茶店を。そしたらあんたは出てきて言ったんや、『先生、あんた珈琲の味がわかるんか?』と、『チキショウ、生意気なことぬかす奴やな』と思ってね、『ああ、わかる』と答えたんやね、そうしたら真鍮のポットに手慣れた感じで湯を沸かして、珈琲を淹れてくれたんやね、それで僕は君に相談したんやね。『シミズ、こういうことを頼めるのは君しかおらん、なんとかしてくれんか?』と、そしたら暫くあんたは考えて、『先生、まかせてください。』と言ったんやな。これは本当に賭けやった。失敗したらシミズ、あんたにも迷惑がかかるしな、職員会議でも問題になるかもしれん。でも次の日あんたはそのクラスに行って〇〇先生の授業をちゃんと静かに受けるようにみんなを説得した。そのクラスの生徒もそれを守ってくれたんやね、、、
ええ。
これ、すべて先生の記憶違いなんです。
私はその場で否定しました。
『ありがたい勘違いではありますが、全く事実ではないです。そんなことした覚えはありません。それが証拠にうちには真鍮製のポッドはありません。他の誰かと勘違いされていらっしゃるんじゃないですか?』と。
しかし『絶対に記憶違いじゃない。シミズ、あんたが忘れているだけや』と先生。
どれだけ話しても押問答になるので途中でやめましたが。
でもわりと多いんです。この手の勘違い、記憶違い。
不思議なことに、決まってその中のシミズイチロウは実際の清水一郎より、いくぶん不遜な男でありまして、いくぶん颯爽とした振る舞いを演じていることが多いようです。
『北に遠ざかりて』にも似たような話があります。
残雪の頃、釣り場へと続く高い石垣を降りるのを躊躇っている先生の前に釣り人が現れる。
その釣り人は先生の存在に全く気づいていない様子で釣りに興じている。
そして、だんだん釣り登ってくるその釣り人の顔をよく見ると、、、。
ちょっと恐ろしいですね。
『釣り人とイタチと』と題された先生のエッセイでは、河合隼雄、ユング、「私」の無意識を補償する影法師、ドッペルゲンガー、と話は続いていきます。
私はその頃ある小説の案が浮かびましたので先生に相談しました。
釣りを始める私。
いつもと違ってよく釣れる。
幼い頃飼ってた犬も釣れた。
探してた大切な思い出の品も釣れる。
楽しくて釣り続けていたら、最後に釣れたのは自分だった、、、。
先生は言いにくそうに
『まぁ、よくある話やね。』
とおっしゃったのでした。
Jean Marais in Orpheus d, scr: Jean Cocteau 1949